純国産邦ロック保護日記

 小学生の頃に、僕のクラスでは1日600字日記という宿題を課されており当時の僕にはなかなか苦行のような課題だったのだが文系大学生に昇華した今からすると600字など雀の涙程度の文字数であり、逆に考えるとよくその程度の文字数で1日の喜怒哀楽を記録し提出できていたのだと感心する。冷静に考えればそれもボキャブラリー不足で感想が淡白になりやすい故ではあると理解しているがそれもまた自身の成長を感じられて感慨深い。

 

そんな小学生日記の頃から僕がこだわっているのが文章の書き出しである。

 

いかに読み手に興味を持たせられるかに比重を置いて文章を書くことを意識していた。起承転結などのフォーマットは文章を書くうえで存在するが敢えてそれを破壊した文章を書くのも一興、または真面目に構成を考えながらじっくり書くのも一興であった。

 

文章を書く事にそのような楽しみを自ら見出せたことが苦行のような宿題の中でも救いだった。今回の記事を執筆するにあたっても書き出しを迷った末にそんな思い出話を持ち出してみた次第である。

 

 本ブログは一応音楽に関することをメインにしてるのでこの勢いで少し無理やり「思い出」という観点から少し掘り下げていきたいと考える。

 

音楽を好んで聴く人間ではなくとも、少なからず人生に音楽は絡んでくるであろう。

特定の曲を聴くと誰かを連想させて嬉しくなったり、過去の思い出を引きずり出して物思いに耽ったりと音楽が記憶と絡みついた時ほどに自分の心理をかき乱される事はない。特に音楽をよく嗜み自分と向き合う事が多い感傷的な人間ほどそれらの状態に陥りやすいのではないだろうか。

 

僕もその人間に該当する一人である。

 

「人生の半分は19歳で終わる」

なんて言われるほどに10代の頃の記憶は新鮮味に溢れている。中学高校の思春期に聴いていた音楽は何歳になっても聴き続けるだろうし、聴き続けるのだろうなとちょうど19歳の僕も実感している。そんな僕が高校生の頃によく聴いていたバンドを紹介したい。

 

それがcinema staffである


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残響レコードでインディーズとして活動し、ポニーキャニオンでメジャーデビューしたバンドである。ゴリゴリのギターロックで純国産邦ロックバンドといった感じのバンドである。これは後ほどまた触れたいのだが今日の洋楽輸入型ロックバンド(個人的造語)を好んで聴く人にとっては純国産ロックはクラシック的な音楽に捉えられて敬遠されがちかもしれない。

 

cinema staffといえば「great escape」でアニメ進撃の巨人の主題歌に抜擢されているのが有名である。

 

great escapeは近頃の邦楽バンドが提供するアニメソングとは少し相対する部分がある。

そもそも進撃の巨人という作品が主要キャラクターを容赦無く殺していくことで有名であるようにキャッチーな音楽では主題歌を務めるのには不釣り合いなのである。そのような理由があるにしてもCinema staffはなかなかに世間へ媚びを売らなかった。

 

冒頭のギターリフから一気に持っていかれる雰囲気を醸し出しているThe 10年代国産ロックといった感じ。とはいえ疾走感があっても爽快感はない。ドラムの乱打がいい具合に掻き乱していたりヴォーカルのたまに入るファルセットが小気味悪さを出している。

 

似たようなテイストのアニソンでいえばTK from 凛として時雨の「unravel」があるが(音楽性は全くの別物)あっちは、unravelは知ってるけど凛として時雨を知らない人間が量産されているが為に嫌いである。

 

今回は個人的な思い出と関連付けた上でこれまたマスターベーション記事を執筆しているわけであり、高校時代の思い出としてcinema staffをピックアップしているわけであるが全曲の中で特に聴いて欲しい曲が「シャドウ」である。


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僕は当時、自転車とバスを日によって使い分けて学校へ登校していたわけであるが

たまたまバスで下校した際、バス停からすこし歩いたところにTUTAYAがあり頻繁にCDをあさっていた。(旧作10枚で1000円とかいうアホプライスが貧乏男子高校生には助かってた)

 

そんな何十枚も借りたCDの中で特に印象深いのがこの曲であった。

ボーカルガッツリ系の曲ではあるものの、やはりギターの主張も疎かにせずとても聞き心地のいい曲というイメージを持っている。しかし、実際に聴いてみると絶妙な不安定感も否めず雰囲気もミステリアスにも聞こえてくる。当時、僕はこの曲をゆっくり聞きたいがために一時期晴れていてもバス通学をしていた。

 

友達が「おすすめの曲を教えて欲しい」と言ってきた為にこの曲を紹介したらご丁寧に歌詞の解釈文が長々と返ってきたのも今では良い思い出である。

 

ここまでcinema staffについて少し書いてきて改めて思うが僕は残響レコード発アーティストが好きだ。

 

cinema staff残響レコード発ではあるが残響アーティストっぽくない気がしている。

 

どちらかと言えばロキノン系に近いのでは無いだろうか。僕は所謂ロキノン系と呼ばれるアーティストは軒並みスルーしてここまで来た身なので定義なども分からず目を瞑って頂きたい発言ではある。ロキノン系を詳細ガン無視の説明をするならばROCKIN'ON JAPANという雑誌にフューチャーされるアーティスト、突き詰めると

 

純国産邦ロック

 

だと考えている。雑誌云々に関わらずひたちなか市で毎年開催されている音楽フェスに出演したアーティスト的な扱いもされる。

 

少し話が逸れるが正直に言って僕はロキノン系という言葉が好きではない。そもそも前述したように雑誌やフェスで扱われたか否かで括られている為に音楽ジャンルではない。

しかし、音楽ジャンルではない言葉が最近ではさも当然かのように1つのまとまった勢力を指すものとして使用されている事に違和感を覚える。

 

そこにはロキノン系という言葉が利便性に優れているという点が1つ挙げられると思う。

 

雑誌かフェスのどちらか一方に出演すれば定義からするとそのアーティストはもうロキノン系である。会場端っこの小さなステージで出演しただけでロキノン系。

 

つまり、ロキノン系という言葉の包容力が凄まじいのである。そこまで気にしてこの言葉を使用する人間は極少数であるのは承知の上だが、ここまでロックシーンに定着した言葉となったのにはこのような扱いやすさ、とっつきやすが起因するのであろう。

 

話を戻そう。

勝手なイメージで話を進めるが

 

【00年代ロキノン系】

ASIAN KUNG-FU GENERATION

サンボマスター

ELLEGARDEN

BUMP OF CHICKEN

 

【10年代ロキノン系】

KANA-BOON

sumika

フレデリック

・[ALEXANDROS]

BLUE ENCOUNT

04 Limited Sazabys

 

正直個人の選出だと似通ったアーティスト達になってしまったがこんな感じではないか。cinema staffは10年代ロキノン系に似た香りがする。

 

実際はもっと幅広いジャンルのアーティストがロキノン系に含まれる。少し遡ればNUMBER GIRLゆらゆら帝国ロキノン系だ。この幅広さにも関わらずロキノン系と一括りにされるのに本当に納得いかない。

 

しかしロキノン系にもしっかり核のような共通点は薄まりつつも存在する。

 

ロッキンというのであるからロックを演奏するバンドかつ重すぎない音圧。爽やかさよりも汗臭さのようなところである。

 

僕はロキノン系という括り方が嫌いなだけでその中に括られたアーティスト達は別である。特にASIAN KUNG-FU GENERATIONELLEGARDEN等の00年代アーティスト達は大好物。

 

まさにこいつらが「国産邦ロック」として貫禄を持ち続けて欲しいアーティストである。

とは言いつつも、彼らが流行したのは文字通り00年代であり最近の若者からしたら男臭くてダサいという印象も少なからずあるだろう。

 

現在は電子音楽が主流だしいわゆるイケてる音楽なのだろうか。

僕自身も小学生の頃からボーカロイドの畑で育ってきた身ではあるために全くそれ自体を否定する気はない。むしろ好きかもしれない。YOASOBIや米津玄師の様なボカロP出身のアーティストが日本音楽界の第一線で日の目を浴びているのは喜ばしいことであり一般層の嗜む音楽がまた一段階広がったと捉えれば悪く無いのであろう。

 

2021年の8月のofficial髭男dismが新アルバム『Editorial』を発表した。

 

このアルバムはオープニングからがっつりエフェクトのアカペラ曲のEditorialである。

この時点で既に電子的であり世相的にぴったりの主張である。一昔前にSEKAI NO OWARIFukaseが彼の歌唱力に問題があったとはいえかなりの酷評であったのが記憶に新しい。

それがなんの違和感もなく受け入れられていることが時代の変遷として受け取流ことができる。アルバムの始まりは落ち着いている方が好きなこともありこの時点で僕の好感度も非常に高かった。

 

そもそも他曲も打ち込みと生音の絡みが醍醐味と言えるアルバムである。演者ではない身分なので推測の域を超えないがここのバランスは緻密な計算と試行錯誤が必要なのではないだろうか。バランスという面では髭男は卓越した存在だという認識をしており「Cry baby」は少なくとも5回か6回程は転調を繰り返すにも関わらず曲としてのまとまりや完成度にケチの付け所が無いのが凄い。

 

この辺りを含めて未聴の方は是非一聴していただきたい。

 

人の趣味趣向はまちまちであり他人が介入や強制するものではないことはもはや周知の事実であろう。しかし、「流行」という観点で物事を捉えるのであれば廃れが存在する。もちろん一定数の根強い支持があるのを踏まえた上である。そういった意味ではメディアの取り上げ方がその大部分を担っており逆にメディアに依存するしかないのも事実ではないだろうか。

 

「調べる」という動作を嫌う人間はもちろんメディアに乗っかり流されるまま取り上げられた音楽を好みSNSで影響力を持った楽曲を支持するであろう。それもまた趣味のあり方なので否定はできない。しかし、音楽と向き合う人間の大多数がそれであったとしたならば日の目を見ない下地な音楽は一生そのままである。

 

「推しは推せる時に推せ」

 

という誰かの金言と通ずるところがあるが好きな音楽を、アーティストを世間に知らしめたいのであればそれなりの応援をする努力をしなければいけない。メディアは注目されたものを取り上げるし伸び代のあるものを取り上げる。メディアのやり方に媚を売るのが正しいのであろうと思う。

 

インディーズ界隈でよく言われる「有名になるのは悲しい」という言葉。

わからんでもない。自分の子供を社会に送り出す親の気分と酷似するのであろう。距離感が離れるのが寂しいのであろう。ただよく考えて欲しい。創作活動には金がかかる。金は客が生み出す。金を集めるためには多くの注目が必要である。長く好きなものを嗜みたいのであれば世に送り出す覚悟をリスナー側がするのも必要なのではないだろうか。

 

注目されすぎると活動しなくなったり事務所に淘汰される可能性は言い出すとキリがないのでこの際は黙っておこう。

 

「影響力はメディアに依存する」の旨を前述したがやはり時代は機械でありネットである。幸いな事に誰でもメディアになることができる。いわゆるソーシャルメディアである。なれるなららろう。自分の発信で誰かが新しい音楽を見つけられればそれは嬉しい事である。そう思いながらこの記事を書いたまでである。

 

ではまた。

YOASOBIのクオリティは、もはや夜遊びの域を超えている

 あけましておめでとうからだいぶ経過してしまい弊ブログは完全に世間から置いてきぼりを喰らうほどにサボり散らかしてしまった。特に固定ファンがついているわけではないので自分の好きなペースで更新すれば良いと頭では理解しているのだが、ここまで放置していると流石に罪悪感を覚えてしまいパソコンに手を伸ばした次第である。

 

私がブログ更新を怠っている間にも音楽は進化して流行も移り変わっている。特に2020年邦楽シーンを代表する活躍を見せたのが「香水」を歌った瑛人と「夜に駆ける」がネットシーンから大爆発したYOASOBIであろう。瑛人は正直元来からの音楽ファンからは不評な印象を受けているために本記事では取り上げない。一方で私がここで激推ししたいのが後者のYOASOBIである。2019年に活動を始めたYOASOBIだが1st シングルである「夜に駆ける」がネットシーンでSNS中心に大拡散され2020年10月にYoutubeの再生回数を1億回を超えるほどのヒットになった。


YOASOBI「夜に駆ける」 Official Music Video

 

 そんなもはや知らぬ人も居ないほどのYOASOBIが2021年の1月6日に1st EP「THE BOOK」をリリースした。ついにYOASOBIの音楽をCDで楽しめるようになったのである。ここまで煽れば流石に何の記事かは見当がつくであろう。本記事はTHE BOOKを試聴した感想を私が気の赴くままに綴らせて頂こうと思う。

 

THE BOOK

  1. Epiloge
  2. アンコール
  3. ハルジオン
  4. あの夢をなぞって
  5. たぶん
  6. 群青
  7. ハルカ
  8. 夜に駆ける
  9. Prologue

 

 YOASOBIの楽曲はボカロプロデューサーであるAyaseが制作しているため多くが打ち込みで作られる。打ち込み以外の楽器やコーラスを挿入する際にもメインである打ち込みを阻害しない音作りがなされており重低音が強く主張することはあまりない。

 

今回の作品でもそうであるようにYOASOBIは特にピアノが印象的である。ネット発のアーティストということやピアノを多用する音楽ということから先発のヨルシカやずっと真夜中でいいのになどと一括りにされるのも致し方ないように感じる。

 

しかし、これが悪いことだと私は思い得ない。先日テレビでも紹介されていたがYOASOBIの楽曲制作法はパソコンとヘッドフォンのみ。つまり少し手を伸ばせば我々も一世を風靡する音楽家になれるのかもしれない。無論そこまでいくにはセンスと多くの努力を必要とするのは言うまでも無いが手軽に楽曲制作に関われるようになったのは良い時代になった素直に喜ばしいことであろう。

 

 今作品の曲順を見ていただいて気づかれるかもしれないがエピローグで始まりプロローグで終わる、普通の物語や作品とは逆なのである。また二曲目には「アンコール」という楽曲が収録されており彼らはネット小説などを元に楽曲制作を行なっているためにエピローグやプロローグまたTHE BOOKという作品名にもつながる。今作品は既存曲が大半を占める。YOASOBIはこれまで一曲ずつをネット上にアップしてきた。それぞれバラバラに出された曲が一つに纏められると

 

めちゃくちゃおもいっっっっっっ

 

我々が今まで聞いたきたアルバムやEPはシングル曲があって落ち着かせるためのアルバム曲がありな作品ばかりだった。n-bunaなんかはそれでもゲロ吐きそうなくらい重かったがYOASOBIはそれを超えてくる。つまりほぼ全てがシングル曲なのである。しかも極め付けにはこれはEPだという現実。

 

しっかりと曲間の空白を長めに設定していたり各曲の個性が混ざらない工夫はなされておりEPを通して一つの作品に仕上げる工夫は相応に成されているものの、重たさ一つを切り取ってしまえばもはやこれはベストアルバムと呼ぶのが相応しいのであろう。

 

 それが良い悪いとは別にこのベストアルバムは単にボカロ畑の出身者の作った楽曲と形容するには惜しい作品であると私は考える。なぜならば歌い手はボーカロイドではなく人間であるからである。

 

初音ミク等のボーカロイドが歌うことを想定して作曲されるものであるならば一音に言葉を詰め込んでいたりメロディの上下を複雑化させ難解なライン取りを行う楽曲が多々見受けられる。しかし、YOASOBIの楽曲たちは基本的なキーが高いことは他として至って人間が歌いやすいように作られている。

 

「群青」においては特徴的なコーラスを混ぜて耳に残る印象的なものに仕上げていたり現邦楽リスナーの好みをしっかりとらえるメロディをボカロ畑の打ち込み音楽とミックスさせた新しいようで一昔前からの音楽から受け継がれている懐メロでもあるのでは無いだろうか。

 

 YOASOBIの最大の特徴で魅力なのがヴォーカルのikuraである。ウィスパーボイスと地声・裏声を綺麗に使い分ける。言葉の節を少しはねるように発声することでリズムをとり抑揚をつける技術など細かい歌い分けを行うことで8曲目の「夜に駆ける」をはじめとする暗いテーマ性を表現している。声質もとてもクリアで聞き取りやすく言い回しの難しいアップテンポ部分の歌詞もそつなく歌いこなす鬼強ヴォーカリストなのである。

 

 YOASOBI自身まだまだアーティストとしての年齢は若くこれからの期待値もとても高い。小説という作品を音楽作品に転換する誰もが考えつくが誰もやってこなかった斬新さと懐かしさの融合など彼らの魅力は十二分に存在していうるために2020年ストリーミングで天下をとった実力をCD作品を通しても同じように発揮し日本の音楽界を楽しませていただきたい。

 

 

嗚呼、私のシックスセンス

あいみょんって名前の響き、凄い再生回数の伸びないYouTuberみたいじゃないですか?
「みょん」って響きが如何にも最近の女子高生がイキって付けた名前みたいだなって最初に思ったんですよ。



今更ですが、僕はあいみょん好きです



僕があいみょん好きになったのが
なんの曲だったかは忘れてしまったので割愛しますがどハマりしだしたのは確か「君はロックを聞かない」です。


当時、好きな人と音楽の趣味が合わなくてヤキモキしてた自分に重ねて聴いていました。
趣味が会わなくても僕は音楽の話しか出来ない人間なので、趣味が合わないなりに相手の好きそうなのを選りすぐってオススメしたりしてました。


いま考えると相手にとって未知なジャンルの曲を勧めるというのはかなりハイリスクな行為ですね。人間の性なのかは知りませんが人に勧められた曲ってどうしてもハマりずらい傾向ありますし。

瞬間的シックスセンス


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『瞬間的シックスセンス
1 満月の夜なら

2 マリーゴールド

3 ら、のはなし

4 二人だけの国

5 プレゼント

6 ひかりもの

7 恋をしたから

8 夢追いベンガル

9 今夜このまま

10 あした世界が終わるとしても

11 GOOD NIGHT BABY

12 from 4階の角部屋

あいみょんはインディーズの頃も合わせると4枚アルバムを出してます。主に彼女の代表曲と呼ばれる面々は「青春のエキサイトメン」・「瞬間的シックスセンス」に収録されています。


あいみょん / 瞬間的シックスセンス
↓ ↓ ↓
https://youtu.be/rWOM62sdO_s


ブレイクのきっかけになった「生きていたんだよな」「君はロックを聞かない」「愛を伝えたいだとか」は前者に収録されており、人気を確固たる物に仕上げた「満月の夜なら」「マリーゴールド」「今夜このまま」は後者の収録曲です。





個人的には瞬間的シックスセンスの方が好きです。


瞬間的シックスセンスの構成は割とシンプルで
序盤はシングル2曲を中心に比較的盛り上がれる始まりに、中盤はバラード多めの箸休め的アルバム曲たち、「夢追いベンガル」でボルテージを一気に最高潮まで上げて勢いだけで最後まで走り抜ける終盤。超ざっくり構成を考えるとこんな感じの3部構成。


1曲目の「満月の夜なら」はシングル曲なだけあってテイストさえ変えればアルバムの顔も堂々と張れる良曲だと思ってます。

が、そこで疑問なのが1曲目に何故この曲を持ってきたのかという所。アルバムの1曲目がシングル曲って言うのは100%無いとは言いきれない物の珍しい気がするんです。


SEから始まるアルバムが多かったりする中で
悪く言えばアルバムの出来に若干の不安があったか、よく言えば聴き手の興味を一気に集めようとしたか。

理由はどうであれ「満月の夜なら」は中途半端なイントロから始まる曲ではなくボーカルから入る曲なのでこの形はこれで潔くてありだなと。

(この違和感は作り手の感覚と僕の感覚のズレなだけの可能性もありますが)


2曲目でリード曲の「マリーゴールド」はもう説明不要でしょうね。2020年8月17日現在でYouTubeの再生回数が1.9億回を記録していて、あいみょんが紅白出場したのもこの曲。


あいみょんが「マリーゴールド」で爆発的にヒットした時のJ-POP・J-ROCK 界隈は確かハイトーン・ハイテンポの曲が主流だった気がするんですが、その流れを変えたのがあいみょんOfficial髭男dismなのかなって感じがしてます。


マリーゴールド」もミドルテンポの曲で情熱的な恋の曲ながら優しい雰囲気があります。あいみょんの低めな声と合わさって凄く聴きやすい。ふと80年代・90年代を思い出させる曲でシンガーソングライターとしての1つの終着点のような曲だなと思っています。彼女がファンを公言してる浜田省吾スピッツの影響も少なからず出ているのかなと。

麦わらの 帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似ている


もう有名すぎるこのフレーズも聴く人によって色々と解釈が変わって来るのでしょう。
僕は単に「麦わら帽子の君」とだけ聞けば、メルヘンなおとぎ話に出てきて、ちょっと触ると消えて無くなりそう、純真潔白な小さい子供を勝手にイメージします。


ただ、この曲においての正解はそんなに無邪気じゃないのでしょう。名が知れ渡る程に多様な解釈が出てくる、自分の作品に沢山の人が興味を示して思考を巡らせてくれる。少しだけ憧れたりします。


3曲目で初登場アルバム曲「ら、のはなし」


タイトルだけだと「ら」ってなんぞ?な感想しか出なくて何も広がらないですね。そもそも曲を聴いてみても言葉遊びのようで言葉遊びじゃない中途半端な曲じゃないですかこれ。


ただ、1フレーズずつ噛み締めるように歌うAメロはだいぶ好きです。

あぁ、余裕を持って人を 好きになれる人ってこの世にいるのかな

いませんそんなやつ


4曲目「二人だけの国」。まぁこいつが超問題児ですね。何が問題児かと言うと、アルバムの中でこの曲だけ世界観が逸脱しちゃってるんです。


Aメロは「なんまいだー」って歌詞もあるので経をモチーフにしてるんでしょう、同じ音だけで歌い上げてます。


布袋寅泰のギターソロだかにも(違ってたらすみません)同じ音だけで演奏するってやつありましたよね。


でも、布袋のは表現力の見せ場みたいな扱いなのに対して、あいみょんのは何を目的でこれをやってるんだかよく理解できません。


恋に対して「何も考えられません」みたいな奴の表現としてこれなのか、はたまた奇をてらっての事なのかいつか本人の口から聞けないでしょうか。(後者ならめちゃくちゃダサい)


この曲を聴いて思うのは「編曲者大変だったろうな」




5曲目の「プレゼント」とかを聴いて思うんですが、あいみょんはいつ頃からか血なまぐささとか人間の陰の部分から掛け離れた曲を書くようになったんでしょうかね。


まぁ有名な曲ですが

「私を愛さないなんてまじお前死ね」

みたいな曲とか

「辛いのに恋愛やめられねぇ!!」

みたいな曲とかが醍醐味だった気がするんですけどいつの間にか

「辛かったら私が助けてあげるよ」

的なほんわかソングが増えましたね。


これは完全に好みなので、良いも悪いも言いませんが彼女の中で何が変わったんでしょうね。


そう言った意味では8曲目の「夢追いベンガル」はあいみょんの原点回帰っぽくて好きです。


超簡略化すると

「あー、愛されてぇ!金はねぇ!愛されねぇ!」

って感じですね。妙に古臭さもあってめっちゃかっこいい。


最初に聴いた時はandymoriの「ベンガルトラとウィスキー」を思い浮かべましたね。関連あるかは知りません。


僕がこのアルバムの中で1番好きなのが「今夜このまま」以降の終盤です。「今夜このまま」「GOOD NIGHT BABY」等のタイトルを見て頂ければ分かるように夜っぽい雰囲気が続きます。


「今夜このまま」があいみょんの曲の中で上位に入るほど個人的に大好きなんですが、曲の入りのフェードインからもう素敵です。


初めてこの曲を聴いた時は水の中に沈み込んでいく心地がした覚えがあります。今でもよく聴く曲ですが夜にしか響きません。日中に聴いてはいけませんよ。


個人的には夜に洒落た雰囲気の中で酒飲みながら聴きたいです。


まだ他にも書いていない曲はありますがボキャブラリーの知識不足の為に割愛させて下さい。その辺も含めて聴いてみてください。


あいみょんは韻を踏む歌詞や語呂のいい歌詞が度々出てくるところが心地よくて聴いていてとても好きです。


また、彼女は自分を表現するのがとても上手いなと感じていて、無駄に着飾る訳ではなく純粋に自分の手札のみで戦っている姿がかっこよく映るのでこんなにも爆発的に人気になったのかなと考えたりもしました。


またね

サブスクに救われた話

つい3ヶ月前くらいまで私が音楽を聴く手段はCDだった。


単純に高校生だった事や超絶機械音痴な為にサブスクの登録方法が理解出来ていなかった(馬鹿)という意味でもあるが1番はCDへのこだわりが強かったからである。

CDプレイヤーに挿入する音や
歌詞カードを手に持ちながら聴けること
コレクションとして置いておけること


アナログとしての価値に魅力を感じていた

ただ、やはり配信サービスが定着しつつある風潮の中でCDオンリーは不便に感じた

「CDへのリスペクトを忘れないようにする」ということを心に留めて遂にサブスクへ登録した

いざ使い始めてみると確かに便利である

月々1000円弱を払えば何曲でも何回でも再生可能である点は当然CDを購入する費用をかなり抑えられる

利率は把握していないが再生する事にアーティスト側へ収益として還元される。CDでは何度再生しても最初に支払った以上の収益は無いのでとても良いシステムだと感心する

また、SNS等で目にしたアーティストを即座に知ることが出来る点がとても素敵だと感じている。CDで聴いていた頃よりも圧倒的に音楽を聴く数が増えている。

音質が粗悪な訳でもなくこれといって挙げる欠点が今のところ見つかっていない

やはり時代はデジタルなのだなと実感する

このコロナ時代においてもサブスクは大層活躍してくれている

コンサートは軒並み中止な為に生音を聴けないストレスや、CDショップが営業していない為にオンラインでしか購入できない。

そうなると「ジャケ買い」なるものが行えないのである。

音楽好きとしてはジャケ買いを通して未知の音楽を知る楽しみとギャンブル性のあるドキドキ感を味わえないのはかなり苦痛である

CDのみで音楽を聴いていると新譜が出ても聴けない事があった。

特にこのコロナ時代においてはネットで購入したCDすらなかなか届かない。

事実いま私は好きなバンドの新譜がなかなか配達して貰えずフラストレーションを溜めている

ただ、ここで私はサブスクに救われた

最近のアーティストは新譜を出すと同時にサブスクでも配信を開始してくれているのである

現物のCDを手に出来ない不満はあるものの音を聴くことが出来る喜びは大きい

不要不急と言われる音楽関連の中で唯一の希望となったのがサブスクであった

先日ロックバンドのlynch.がライブハウス支援企画と称してSingle「OVERCOME THE VIRUS」を発売した


このCDと同時発売したグッズによる収益を
過去にlynch.が出演した全国のライブハウスに寄付をするというものだ

サブスクでも同内容の楽曲が配信されており
再生された分だけの収益もまた全国のライブハウスに寄付されるようである

当人たちも十分な音楽活動を行えない中で
かつて出演したライブハウスに恩返しを行う素晴らしい活動だと感じる


私もこの活動に是非参加したく、CDを購入した。夜は一晩中サブスクでリピートして少しでも貢献しようと思う

アイネクライネは日本が誇る名曲なのではないか?

今回は米津玄師の『アイネクライネ』




この曲ってYouTubeで2.6億回再生を達成してて(2020.05.03.現在)私が言うまでもなく神曲

https://youtu.be/-EKxzId_Sj4

神曲ってどいつもこいつも隅々まで「神」としか言いようがない。この曲も私はAメロから既に大好きが溢れてしまうのだ


米津玄師の声が男性ならではの落ち着いていて聴きやすい声なので、余計な電子音やらを使わなくても「音楽」として文字通りかなり楽しめるのである。むしろ、たまに他の楽曲において打ち込みの音が鬱陶しく感じる事もある程に彼の声は素敵だと思う


声の好みは勿論人によって異なる為に一概には言えないが、彼の声の魅力を最大限に発揮しているのが「アイネクライネ」であると私は勝手に解釈している


なぜなら、この楽曲は彼の歌唱からスタートする。「あたし」と歌い出したのをきっかけに「あなたに会えて」と同時にアコースティックギターが追いかけるように鳴り出す。


あくまでボーカルが主人公であるために
この部分で使われている楽器はアコースティックギターのみ。このギターもまた味のある音を聴かせてくれる。


音を止めるために弦を抑える音やスライドする音・弦が歪む音など楽譜上には現れない音楽としての音・アナログ楽器の音を気持ちよく聴かせてくれている


ここで、この楽曲がよかったポイントとしては
バラードとしての美しさを追求して変にピアノなどを加えなかった事である


この冒頭部分の魅力は声とギターのみで構成されるシンプルな美しさであり、余計な音を組み込んではいけない。


simple is bestであり極限まで音数を減らした最適解である


ここからはサビに向けて少しづつ音数が増える。Aメロにおいて先程の「声とアコギ」にプラスしてベースの音が入ってくる。


ここでベースを組み込むのは、単にリズムをとる役割を果たしているのだろう。加えて音の重さを増す役割もある。


どんな音楽にも通ずる事であるが、ベースの低音が加わると圧倒的に音に重みが増す。このAメロから重さが必要な理由は言うまでもなく曲の本編だからである。

あたしあなたに会えて本当に嬉しいのに
当たり前のようにそれらすべてが悲しいんだ
今痛いくらい幸せな思い出が
いつか来るお別れを育てて歩く


まではあくまでも表題でありあらすじ
テレビ番組で言えば告知CMであり書籍で言えばコメントなどが書かれた帯である


この曲が訴えかける本編はAメロから


ここから音を増やすことでぐっと曲に惹き込まれるようになり自然と歌詞の内容を理解しようと言う気になるのではないだろうか。少なからず私はそうであった


ただ、ここでも余計な事は一切しない徹底ぶりである。先程述べたようにAメロ時点で加わる音はベースのみ。先を急ぎすぎて一気に迫力を出すようなつまらないことはしない


それこそ、この楽曲が名バラードである所以だと私は思っている。音数のギャップでリスナーを驚かせる手法も取れるだろうが、それはサビで行うべき事である。今はあくまでAメロである


Bメロからはエレキギターのカッティング加えてクラリネットのような木管楽器(詳しくは分からない)の甲高い音も投入されている


音数も充実してきて
いよいよサビへ一直線というBメロであるが、1番私が気に入っている部分がラストの「どうして」を3回繰り返す部分である


ピアノ譜などを見るか、カラオケの採点バーなどを想像して頂ければ分かりやすいと思うが
「どうして」を1回歌う度に、つまり休符を跨ぎながら段階的に高くなる歌メロになっている


最終的にBメロの最後の音はサビと同じ高さまで上り詰めている。最後のタイ(伸ばす音)の余韻を伸ばしたまま山であるサビに突入する綺麗な繋ぎが私は大好きなのである


また、その盛り上がりを途切れさせまいと歌が休符で止まっている間にドラムが最後の一手かのように迫力満点で鳴り出すのがまた堪らないのだ!


ここからはサビの話しだが、楽譜的に歌は驚く程に休まずに突き進んでいく。休符から休符までの間が長すぎるのである。
このサビを絶妙なタイミングで息継ぎを
しながら歌い上げる人間はとても上手い人なんだろうと思う


そんなサビだが、当たり前のようにここ一番の迫力があるバンドサウンドで過ぎ去っていく。


その裏でポコポコと、鳴ってる木琴の音が綺麗で圧巻である。詩の内容はとても切ないこの楽曲であるがサビの木琴だけを切り取って聴いてみるとまるで爽やかな朝である


ウグイスが木に隠れて囀るように
この木琴もメインの音に隠れてその魅力を披露している。歌だけを聴いていては決して気づけない音である


ここまで書いてきて私は、メインの音に隠れた音が好きなんだなぁと気付かされた次第である



今回は米津玄師の「アイネクライネ」について勝手に思う所を綴ってみた。
この記事を書くにあたって何度も繰り返しこの楽曲を聴き込んだがほんとに名曲中の名曲であるなと改めて実感した


静かな立ち上がりからサビまで徐々に盛り上がりサビでピークを迎える。後にCメロを挟んで大サビでクライマックス


実にシンプルな構成であるが、全楽曲のお手本のような曲だなと感動した


セオリー通りだからこそ多くの人間に突き刺さるものになっているのだなと感じた

緊急事態宣言で聴くIn Love with a Ghost

自粛を要請するとか言うちんぷんかんぷんな日本語を日本のトップか使うのは、いかにも曖昧に濁すのが得意というか優柔不断というか他人に丸投げするのが得意な日本人らしい言葉で面白い(ノ∀`)


まぁ、サッカーでも日本人のゴール前決定力が低いし、そこは笑い飛ばすしかない性であるし諦めもつく


ただ、他人を攻撃するときの団結力とまっすぐさは見習う必要がある。今回のコロナ騒動で真っ先にぶっ叩かれたのはライブハウス


普段からライブハウスに馴染みのない層からすれば「麻薬売り・乳丸出し女・騒音公害」なんてイメージがあるんだろうし、ここぞとばかりに潰しに来た


たしかに、密集地帯であるだろうから活動を控えるべきなのは確かであるのだが、世間の目は冷たすぎる。

世の中のコンサートは軒並み中止である。生きる糧と職を多くの人が失った。

https://wattsu-2.hatenablog.com/entry/2020/03/05/010007

以前の記事でも書いたがX JAPANYOSHIKIは正真正銘の正義マンなのでこれを好機に庶民潰しの綺麗事を並べている。有用なスキルだ。

まぁ、それはさておき自宅待機はなかなかに暇だろう。アウトドア派の人にとっては多大なのストレスもかかっているであろう。


ならば、こう言う時こそ音楽で心を癒そう。


音楽は偉大なり


僕が心の浄化に役立つと思う音楽はelectronica

electronicaエレクトロニカ)とは包括的に捉えると電子音楽である

なかでも今回はIn Love with a Ghostというミュージシャンを激推しさせて頂きたい。インストを主体とした音楽をネット上で行なっている。これがまた刺さる人間にはズバズバと刺さるのであろうと思うと顔がにやけてくる

We've Never Met but Can We Have a Cup of Coffee or Something

We've Never Met but Can We Have a Cup of Coffee or Something

  • In Love With a Ghost
  • エレクトロニック
  • ¥204


https://youtu.be/Ql_dEdMEjl4


一昔前に流行った音フェチ動画的なのが好きな人は是非一度は聴いてみて欲しい。

水音・雨音を組み込みながら、感情を腹の中に置いてきたようなピアノ・トンネルの反響音のようなシンセサウンド等々まさにIn Love with a Ghostと名乗るに相応しい音楽。「不穏」「不気味」けど「美しい」

僕自身は経験がないので勝手なことは言えないが、心霊スポットのトンネルに入った気分なのだろうか。もしくは富士の樹海に雨が降ったとき。場所柄故に恐怖心はあるのだけれども、どこか心の裏側で楽しでいる自分がいる。そんな感じ。


故に、夜の暗い部屋で目を瞑りながら聴いて欲しい。頭の中に無限で幻想的な空間が広がってくることだろう

これも僕の勝手な想像なのだがアートワークや本人の人物像から察するに彼はなかなかのヲタクなのだろう。とても好感度が高い。


最後にオススメの作品を紹介しておく


In Love With a Ghost / Let's Go

1.we've Never Met but can we have a Coffee or Something

2.Flowers

3.Sorry for Not Answering the Phone I'm Too Busy Trying To Fly Away

4.We were Friends

これも例に漏れず不穏な雰囲気の楽曲から始まるEP.なのだが徐々に夜が明ける。鳥の囀りなんかからもその明るくなる兆しは見える

コロナウイルスの恐怖が日本に舞い込んで来てから約3ヶ月が経過した今日この頃だが、籠城作戦にもさすがに限界が来る頃であろう。

先の3連休では「自粛疲れ」などと称して遊びに出てしまう人も少なからずいた。僕自身も嫌々とは言え旅行を敢行した。褒められる行為ではないし後悔しかしていない。

人との距離を開けなければいけない現状では大切な人や好きな人に会いたくても会えず寂しさに暮れる日々である。突然に物理的距離が開いてしまうと心の距離まで開いてしまうと恐れてもいる。

ただ、好きな言葉ではないが今ほど「明けない夜は無い」という言葉に縋ることは無い。夜が明ける前に心が折れてしまいそうになるが日本人の持つ忍耐力はこういう場面で発揮していこうではないか。

緊急事態宣言を国が発表しようともIn Love With a Ghostの作品のように徐々に明るく、コロナウイルス収束後に明るい未来があることを期待しelectronicaに心を癒されてみては如何だろうか。

何人かの心を動かしてくれる音楽であるのは間違いない

とある友人の感情メモ

何か思うことは、あるはずです

 

人間ですから…。

 

 

 

 

 

『道化』さん

 

 

 

 

 

 

私は昔から嘘つきです。

自分で気づいた時には誰かを騙して生きていた気がします。

 

ある時には、保育園の好きでもない女の子に「好きだよ。大きくなったら結婚しよう」と言いました。本当はそんなこと叶わないとわかっていました。彼女と結婚したいなど微塵も感じたことはありませんでした。ただ、好きと言われたから好きと返したまでです。

 

何の罪悪感もなしにそんな大それた事を言いました。

 

所詮は子供の頃の話ですし結婚する事の責任の重さや面倒な部分など知る由もないから言えたのだろうと思うのが常識的な捉え方でありましょう。

 

ただ、私は「この子と結婚する」などと心に決めながら言ったわけでもなく罪悪感もなく、ごく滑らかに口から例の言葉を溢しました。

 

それが、今になって私の心の純情な部分に刺さってくるのです。小さな話でしょう。

 

子供だけではありません。

大人さえも欺いてきました。

 

幼少期によく聞かれる会話として

大きくなったら何になりたいの?

と言う事を問われることがよくありました。正直に申し上げますと私は当時から何にもなりたくありませんでした。

 

当時は自分が大人になるという実感が全く持てないものですから

「大きくなったら何かにならなくてはいけないのか?」

と思っていました。

「ずっと子供のまま生きていてはいけないのか?」

と思っていました。

 

当時から母と言うものはよく私の髪の毛を引っ張りあげて怒鳴り散らしました。いま思えば近隣から懐疑の目を向けられていなかったのかと不思議に感じるくらいに大きな声で騒ぐ人でした。

 

幼少の私は世間を全く知らぬ者でしたから、親がその行為をとる事は全家庭で共通している事だと思っていましたし「私が悪い事をしたから制裁が下るのは当然である」と感じていました。

 

いま振り返り、当時の私は暴行に走る程の失敗をしていたかと問われれば今の私は否定するでしょう。

 

それでも「母はありがたい人間だ」と信じて疑わなかった私は飯を食わせて頂きながら一生子供のままでありたいと願っていました。

 

ただ、「何にもなりたくない」と答えれば不出来な子供だと叱責されると思っていました。私は周りの友達や子供たちが自分の将来に何を思っているのかを把握していました。

 

同年代の子供達は皆んな口を揃えて「怪獣を倒したい」やら「警察になって泥棒を捕まえたい」などという俄かに叶い難い目標を話していました。

 

それが子供のあるべき姿なのだと私は学びました。なので私は「大きくなったら何になりたいの?」と問われた際には

 

「サッカー選手になりたい」

 

と無邪気に見せかけた笑顔で答えていたのです。無論サッカーなどというスポーツをロクに行った事のない時の話です。

 

 

 

 

 

『監禁』さん

 

 

 

 

 

私が小学生の頃の話です。

今もなおですが、当時の私の家庭は貧乏でした。

 

「お前たちを殺す訳には行かないから仕方なく働きに出ている。疲れながら働いても自分の為に使える金は一銭もありやしない。お前たちなど産まなければよかった」

 

とよく母に聞かされたものでした。私は1度たりとも「産んで欲しい」などとは願った記憶はありませんが母には産んでくれと聞こえたのでしょうか。

 

「お前が頼んだから私は応じてお前を産んだのだ」

 

と言わんばかりの口ぶりでした。そんな家庭なものですから小学校から帰ってきても友人と再び遊びに出ることなど稀でした。

 

低学年の頃は小学生版の保育所に預けられる事が多く、高学年になると出来る範囲でですが家庭の仕事を任されるようになっていました。母が帰宅するまでに任されていた仕事と学校の宿題を完璧に終わらせていなければ拳が飛んでくる恐怖と常に戦っていました。

 

その頃からでしょう。学校で友人と会話に励んでいる時間でさえも得たいの知れない「不安」に苛まれることが多くなりました。ふと気がつくと心に霧が掛かるのです。心臓が喉の方まで上がってきているかのような気分になるのです。

 

家では私1人でした。

寂しくはありませんでした。

 

何度かクラスメイトが「放課後俺の家でゲームしない?」と誘ってくれた事もありましたが予定があると毎回断っていました。

 

このゲームというものも私は持っておりませんでした。私の年代では小学生の男子が遊ぶものと言えばゲーム機かカード遊びでした。小遣いやお年玉を与えられていない私にとってそれは未知なるものでありました。

 

ある日、今でも覚えている悲しい出来事がありました。

 

その日は珍しく母の仕事が休みでした。朝から母の機嫌もよく「放課後は友達と遊んできていいよ」という許可を直々に頂けることとなりました。

 

私はとても嬉しくて学校に到着するとすぐに仲良くしてくれていた友人に

 

「今日の放課後は一緒に遊ぼう」

 

と声をかけました。すると友人は私にこう言いました。

 

「お前いつも遊べないし今日もどうせ無理でしょ?ゲームもカードも持ってないしつまらないわ」

 

確かに私は嘘つきです。ただこの時に私が彼に「遊ぼう」と声をかけたのは本当に遊びたくて声をかけました。彼はそれでも「約束してもキャンセルされるだろう」と思ったのでしょうか。私の申し出を断り他の友人と遊びに出かけました。

 

おまけに、「ゲーム機やカード」を買ってもらえない私は遊んでもつまらない奴だと一蹴しました。小学生ならば校庭で球技に勤しんだり走り回ったりするようなイメージですが当時の流行は「ゲームとカード」でした。

 

流行とは乗れれば楽しいものですが、乗れない者からすれば恐怖以外の何者でもありません。何らかの理由から流行に取り残されてしまうと孤立してしまうのです。

 

流行に乗れない奴はつまらない奴なのです

 

以降、私は幾度となく流行に取り残され酢酸を舐める羽目になるのでした。

 

私は彼の一言を今でも忘れる事が出来ません。彼等からしたら放課後に友人と遊ぶのいう行為は当然の行いなのかもしれません。ただ、当時の私は年に1度でもあれば良い生活をしていました。

 

その巡ってきた1度を暴虐無垢という一見矛盾した彼の言葉によって簡単に蹴り倒されたのでした。

 

そのゲーム機ですが、以降1度だけ手に入れた事があります。手に入れたと言っても小学校に密かに持ち込んでいた友人が貸してくれたのです。「家に持ち帰って遊んで良い」とその友人は私に言いました。私はその時も嬉しくなった覚えがあります。私はその日、家に友人のゲーム機を持ち帰りました。

 

持ち帰ったは良いものの母にそれがバレると叱られるのは目に見えていました。なので母の目を窺いながら扱いました。

 

ただ、所詮は小学生の知恵です。

母にはすぐ発見されました。そもそも、冷静に考えればゲーム機などと言う高価な物を小学生同士が貸し借りをしている事が間違いなのです。非は確かに私にありました。

 

その日は母も仕事で疲れていたのでしょう。心にも限界が来ていたのかもしれないと幼心に私は察しました。母はいつにも増して激しい口調で私を叱り、いつもより強い打撃を受けた事を覚えています。

 

時刻は午後8時頃だったと記憶しています。母はゲーム機を友人宅に返しに行くよう私に命じました。小学生が1人で歩くには少々遅い時間です。私は約2キロ程離れた友人宅に1人でゲーム機を返しに行きました。

 

不躾なことに私は夜分にも関わらずアポを取らずに友人宅に向かいました。インターフォンを鳴らすと友人の母が扉を開けました。私の顔はとても酷く泣き崩した形相だったのでしょう。彼女は異常だと判断したのか不躾な私に優しく接してくれました。

 

無論、小学生が1人で往復4キロの道のりを午後8時にゲーム機を持って歩いているのは異常なのです。友人の母は私を家まで車で送り届けてくれました。それから、私の母と友人の母が話をしていた様ですが得意の道化で乗り切ったのでしょう。友人の母はすぐに帰って行きました。

 

翌日、この件が学校で噂になっているのではないかと恐怖を抱きながら登校したのを覚えています。陰で言われていたのかもしれませんが、幸い私の耳に黒い話が入ってくることはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

『圧縮』さん

 

 

 

 

 

 

 

人間は、絶え無い限りは成長していくものである為に私も中学生になりました。

 

「不安と期待を胸に抱き」とはよく言ったもので、この時の私には【恐怖】しか存在していませんでした。私には元来、環境の変化を恐れる習性が備わっているようで春の季節は毎年なんとか生き延びていける道を探そうと必死になっていました。なので私には環境が変わってもすぐに適応して仲間を増やしていく人種が理解出来ないと同時に羨望の念を抱いていました。

 

これを不安と言うのかも知れませんが、当時の私の心境は恐れしかなかったのです。他の小学校から集った同学年も年上も背広を纏った教師陣も全てが恐ろしく思えて仕方がなかったのです。

 

なにもとって喰われると思っていたわけではありません。それは漠然とした恐怖なのです。具体的に何に対して恐れを感じているのか自身が把握出来ていれば解決への道を探ることも可能ではあったでしょうに、当時も今も悲しきかな私の脳内はごく軟弱に仕上がっているものですから、それを特定する事が不可能だったのです。

 

ただ、入学式においては周りの人間も幾分私と変わらぬ想いを抱いていたのでしょう。細々と私に話しかけてくれる者がいたのです。そいつとは短い仲でしたが今となっては入学式において恐怖を紛らわせてくれたので、極小の感謝はしているつもりです。

 

家に帰ると珍しく母がいました。彼女にも人情というのは備わっている様で、入学を祝う言葉を少なからず掛けて頂いた覚えがあります。まぁ、私には何がめでたいのか皆目検討もつかないのですが。

 

そんな母でしたが、束の間の幸せだったとでも言うのでしょうか私はそのめでたい日に花と大きな争いを引き起こしました。理由は覚えていませんが母の言動が私の逆鱗に触れたのでしょう。稀に私の内にある物が破裂するタイミングがあるのですが、不幸にもこのタイミングだったのでしょう。掴み合いの争いになりました。その時の傷が今でも私の右手首の甲に残っております。中学という場に踏み出したと言う事実に私も態度が大きくなっていたのか終いには家を飛び出してしまいました。

 

躍起になって飛び出したは良いものの家の鍵を持って出るのを忘れてしまい冷静になると私は劣勢に立っているのだとようやく理解したのです。そもそも親と子という立場がある以上は私が優勢になる事は有り得ないとその時私は悟りました。

 

何を考えたのか12歳の私は近くの繁華街を夜もだいぶふけた時間に歩き回りどこかの駐車場で朝焼けを待った覚えがあります。人生で1番長い夜でした。よく変質者や警察と遭遇しなかったものだと思います。

 

この一件があってから母は私に物理攻撃を仕掛けて来ない様になりました。私と掴み合ってみて既に息子に暴力で勝てなくなったと気づいたのでしょう。私から誰かに暴力を振るった覚えは記憶のうちで存在しませんが、母へ確実に抵抗できるだけの力は既に備えていました。

 

暴力で勝てないと分かると今度は精神攻撃を仕掛ける様になりました。彼女には「攻撃をしない」という選択肢はないようなのです。

 

「〇〇しないならベランダで寝ろ」

 

「テストで90点以上取らないと家から追い出す」

 

「風呂を15分で済ませないなら水道代を払え」

 

etc.

 

こんなことを息をするように言い放つのです。ただ、これは真に受けずに聞き流せばその場は凌げるので特に問題ではないのです。

 

私の心に1番響くのは言葉ではなく母が漏らすため息でした。彼女は私になにかミスや落ち度があると必ずため息を吐くのです。それもわざと大きな音で吐くのです。

 

それが私にとっては苦痛でした。常人からしたらため息なんて気にするなと思うかもしれません。それでも私の胸は黒い見えざるナイフに刺されるように痛かったのです。これは比喩ではありません。本当に胸が痛かったのです。ため息を聞くたびに痛かった。

 

他には、中学生の人間に向かって「お前を育てるのに今までに〇〇万円かかってる。だから、態度とか口の聞き方に気を付けろよ」と散々言われた覚えがあります。彼女は私を育てるのが嫌だったのでしょうか。

 

それ以前に私は産まれてきたのが嫌でしたが…

 

ここからは私の推論ですが、彼女はおそらく私が男だという事実が気に入らないのでしょう。彼女はよく私に「1人目は女の子が良かった。男だと分かった途端に嫌になった」と話して聞かせました。

 

母はかなりのメルヘン脳なので機嫌のよい時は「ディズニーのお城に住みたい」などと冗談交じりに言う人間でした。それ故に、自分の思う通りに着飾れる女の子を欲していたのです。

 

これは私の予想通りです。妹が産まれてからというもの彼女は自分の娘を過剰なまでに着飾らせました。スカート以外は断じて許さずズボンなど有り得ない。ピアノとチアリーディング教室に通わせありとあらゆる女子力を備えさせようと手を尽くしていました。

 

その反動で妹はかなり男らしい性格に育ちました。

 

母は妹に対してかなりヒステリックに叫び散らし暴力を振るいます。女相手なので力でも大きく負ける事はないからです。私には手を出さず妹へ手を出している事実から彼女は弱者相手には一層腐った人間性を発動させることが見て取れます。

 

 

 

 

さよなら『毛髪』さん

 

 

 

 

 

 

 

 

私は中学時代にある悩みがありました。

 

それは、自分で自分の毛髪を抜いてしまう癖があることでした。それも無意識に抜いていました。それも1本や2本ではなく結構なハゲが出来る程です。

 

これもまた常人からしたら理解し難い行為でしょう。それは私も承知の上です。

 

なぜなら、私自身も理解できないからです。

なんで自分は髪を抜いているのかすらわかりません。無意識に抜いているのです。気付いたら自分の周りの床が髪の毛だらけなんてこともしょっちゅうでした。

 

後に精神障害の一種である「抜毛症」ということを知りました。ストレスから来る症状の1つらしく、わりと珍しくない病気なのだとか。

 

当時は自分の行為が病状だと知る由もなかったのでひたすら自分が気持ち悪かった。この頃からもう自分が嫌いで嫌いで仕方なかったのです。

 

誰しもある感情だとは思うのですが、この時ほど強くこの世にとどまりたくないと思っていた時期はないでしょう。

 

抜毛症に関するサイトを貼りました

 

https://e-heartclinic.com/sp/kokoro/yamai_ippan/ippan_batsumou1.html

 

 

 

 

 

『嫌悪』さん

 

 

 

 

私は抜毛症を発症した時期から自己嫌悪の念が異常に高まりました。

 

この世には「人間が生まれた意味はなにかしらある。何かの使命を果たすために生まれた」と信じて止まない人がいます。

 

私はそうは思いません。人間が生まれた理由など先人の性行為によって受精卵が完成し生まれたにすぎません。

 

どう脚色して綺麗に着飾ろうとも、これが唯一無二の揺らなようのない事実であり、私を苦しめる答えなのです。

 

例に漏れず私の親も性行為をしたのでしょう。それが2人の本意であるのか、それともどちらか一方の性欲の捌けとして片方が不本意な形で行なったのか知る術はないのですが、間違いなく受精卵が完成して私は生まれました。

 

その後、私は喜怒哀楽その他、実に多様な感情を発揮しながら生きながらえてきました。その中には楽しいこともあれど、私の人生は圧倒的に「苦」の占めている割合が多いのです。

 

性行為の経緯はどうであれ、親が私を産むと決めたおかげで沢山の苦しみを味わうことになりました。それもまだ18歳の段階で。これから社会に出る事になると更に多くの苦しみを味わうでしょう。

 

私の親は、自分が産んだ子供がこのような苦しみを受け続けることを想定して私を産むと決意したのでしょうか。それとも、取り敢えず子供を授かってしまったので産んだのでしょうか。

 

この18年間、親と関わってきて私には後者のようにしか感じられないのです。

 

仮に前者であったとしたなら「絶対に苦しい思いはさせない」という強い想いと自信があったのでしょうか。それとも「苦しんでも別に自己責任にすればいい」と思ったのでしょうか。

 

私のまだ18年の短い人生の中ではありますが「反出生」という考え方に至りました。反出生主義とは子供を産む事に否定的な立場を取る人間のことです。

 

人間はこの世に生まれた以上、命を全うすることが義務であるかのような思考に至ります。実際、自殺大国の日本であるにもかかわらず、自殺者などを心の弱い人間だと虐げる風潮があります。

 

ただ、反出生の立場からすると自殺者は悪くありません。自分の子が自殺者になる可能性があるにも関わらず、自殺を絶対悪とする風潮の国に産み落とす親を非道な人間だと考えます。

 

自分が産んだ子供が自分の嫌いな性格に育つ可能性もあるのです。誰しも許せない行いをする人間と出会ったことがあるかと思いますが、自分の子がその行いをする人間に育つ可能性もあるのです。

 

そもそも、親は子供を産むか産まないかの意思決定は出来るものの、生まれてくる子供側は生まれたいか生まれたくないかな主張すら行うことができません。

 

つまり、出産とは親の押し付けなのです

 

親に「生まれろ!!」とわがままを押し付けられ、自分で何のリスクも顧みず産んだくせに生まれた人間が自分の好みの子供に育たないと虐待を行ったりするのです。

 

わかりやすくいうと、急に他人から殴られてやり返すと「なんでやり返すんだよ!!」と激怒されるのと同じです。理不尽極まりないのです。

 

私は、親になる人間には沢山の責任があると思います。

 

親は意思決定のできない子供を生んだ以上、子供に苦痛を感じさせるべきではないし、一生幸せに暮らせる環境を提供するのが当然です。

 

日本では20歳で成人ですが、平均寿命を80歳だとすると人生の4分の1の工面したくらいで偉そうな顔をしないで欲しいのです。生んだ限りは死ぬまで命の責任を持つべきです。ペットだって飼う以上は死ぬまで責任を持つでしょう。何故人間は途中で放棄するのか。他の野生生物も巣立ちなどはありますが、人間ほど知性が発達していないので苦ではないでしょう。

 

親は自分のエゴで産んだ限りは子供の望んだ事は最大限に行わせるべきです。貧乏人なくせに子供を生んで子供に不自由を与えてはいけない。子供が大学に行きたいと望むのなら私立大学でも学費をすべて払えなければ親ではない。奨学金などという借金を自分が金を稼げていないせいで子供に押し付けるのはよくない。お前が稼げていないせいで子供は借金を負う事になり幸せから遠ざかってしまう。

 

人間は生きている限り幸せを追求するものなので、その本能を持つ人間を創りだした以上は幸せになるように努めるのが親なのである。お前らが苦を唱えるのは筋違いである。お前らが望んで苦を受ける判断をしたのだ。

 

それほど子供を産むのは過酷である。子供は産んで終わりではなく人生を幸せに終わらせて最後なのである。 

 

それが無理なら産むな

 

 

 

以上…。