とある友人の感情メモ

何か思うことは、あるはずです

 

人間ですから…。

 

 

 

 

 

『道化』さん

 

 

 

 

 

 

私は昔から嘘つきです。

自分で気づいた時には誰かを騙して生きていた気がします。

 

ある時には、保育園の好きでもない女の子に「好きだよ。大きくなったら結婚しよう」と言いました。本当はそんなこと叶わないとわかっていました。彼女と結婚したいなど微塵も感じたことはありませんでした。ただ、好きと言われたから好きと返したまでです。

 

何の罪悪感もなしにそんな大それた事を言いました。

 

所詮は子供の頃の話ですし結婚する事の責任の重さや面倒な部分など知る由もないから言えたのだろうと思うのが常識的な捉え方でありましょう。

 

ただ、私は「この子と結婚する」などと心に決めながら言ったわけでもなく罪悪感もなく、ごく滑らかに口から例の言葉を溢しました。

 

それが、今になって私の心の純情な部分に刺さってくるのです。小さな話でしょう。

 

子供だけではありません。

大人さえも欺いてきました。

 

幼少期によく聞かれる会話として

大きくなったら何になりたいの?

と言う事を問われることがよくありました。正直に申し上げますと私は当時から何にもなりたくありませんでした。

 

当時は自分が大人になるという実感が全く持てないものですから

「大きくなったら何かにならなくてはいけないのか?」

と思っていました。

「ずっと子供のまま生きていてはいけないのか?」

と思っていました。

 

当時から母と言うものはよく私の髪の毛を引っ張りあげて怒鳴り散らしました。いま思えば近隣から懐疑の目を向けられていなかったのかと不思議に感じるくらいに大きな声で騒ぐ人でした。

 

幼少の私は世間を全く知らぬ者でしたから、親がその行為をとる事は全家庭で共通している事だと思っていましたし「私が悪い事をしたから制裁が下るのは当然である」と感じていました。

 

いま振り返り、当時の私は暴行に走る程の失敗をしていたかと問われれば今の私は否定するでしょう。

 

それでも「母はありがたい人間だ」と信じて疑わなかった私は飯を食わせて頂きながら一生子供のままでありたいと願っていました。

 

ただ、「何にもなりたくない」と答えれば不出来な子供だと叱責されると思っていました。私は周りの友達や子供たちが自分の将来に何を思っているのかを把握していました。

 

同年代の子供達は皆んな口を揃えて「怪獣を倒したい」やら「警察になって泥棒を捕まえたい」などという俄かに叶い難い目標を話していました。

 

それが子供のあるべき姿なのだと私は学びました。なので私は「大きくなったら何になりたいの?」と問われた際には

 

「サッカー選手になりたい」

 

と無邪気に見せかけた笑顔で答えていたのです。無論サッカーなどというスポーツをロクに行った事のない時の話です。

 

 

 

 

 

『監禁』さん

 

 

 

 

 

私が小学生の頃の話です。

今もなおですが、当時の私の家庭は貧乏でした。

 

「お前たちを殺す訳には行かないから仕方なく働きに出ている。疲れながら働いても自分の為に使える金は一銭もありやしない。お前たちなど産まなければよかった」

 

とよく母に聞かされたものでした。私は1度たりとも「産んで欲しい」などとは願った記憶はありませんが母には産んでくれと聞こえたのでしょうか。

 

「お前が頼んだから私は応じてお前を産んだのだ」

 

と言わんばかりの口ぶりでした。そんな家庭なものですから小学校から帰ってきても友人と再び遊びに出ることなど稀でした。

 

低学年の頃は小学生版の保育所に預けられる事が多く、高学年になると出来る範囲でですが家庭の仕事を任されるようになっていました。母が帰宅するまでに任されていた仕事と学校の宿題を完璧に終わらせていなければ拳が飛んでくる恐怖と常に戦っていました。

 

その頃からでしょう。学校で友人と会話に励んでいる時間でさえも得たいの知れない「不安」に苛まれることが多くなりました。ふと気がつくと心に霧が掛かるのです。心臓が喉の方まで上がってきているかのような気分になるのです。

 

家では私1人でした。

寂しくはありませんでした。

 

何度かクラスメイトが「放課後俺の家でゲームしない?」と誘ってくれた事もありましたが予定があると毎回断っていました。

 

このゲームというものも私は持っておりませんでした。私の年代では小学生の男子が遊ぶものと言えばゲーム機かカード遊びでした。小遣いやお年玉を与えられていない私にとってそれは未知なるものでありました。

 

ある日、今でも覚えている悲しい出来事がありました。

 

その日は珍しく母の仕事が休みでした。朝から母の機嫌もよく「放課後は友達と遊んできていいよ」という許可を直々に頂けることとなりました。

 

私はとても嬉しくて学校に到着するとすぐに仲良くしてくれていた友人に

 

「今日の放課後は一緒に遊ぼう」

 

と声をかけました。すると友人は私にこう言いました。

 

「お前いつも遊べないし今日もどうせ無理でしょ?ゲームもカードも持ってないしつまらないわ」

 

確かに私は嘘つきです。ただこの時に私が彼に「遊ぼう」と声をかけたのは本当に遊びたくて声をかけました。彼はそれでも「約束してもキャンセルされるだろう」と思ったのでしょうか。私の申し出を断り他の友人と遊びに出かけました。

 

おまけに、「ゲーム機やカード」を買ってもらえない私は遊んでもつまらない奴だと一蹴しました。小学生ならば校庭で球技に勤しんだり走り回ったりするようなイメージですが当時の流行は「ゲームとカード」でした。

 

流行とは乗れれば楽しいものですが、乗れない者からすれば恐怖以外の何者でもありません。何らかの理由から流行に取り残されてしまうと孤立してしまうのです。

 

流行に乗れない奴はつまらない奴なのです

 

以降、私は幾度となく流行に取り残され酢酸を舐める羽目になるのでした。

 

私は彼の一言を今でも忘れる事が出来ません。彼等からしたら放課後に友人と遊ぶのいう行為は当然の行いなのかもしれません。ただ、当時の私は年に1度でもあれば良い生活をしていました。

 

その巡ってきた1度を暴虐無垢という一見矛盾した彼の言葉によって簡単に蹴り倒されたのでした。

 

そのゲーム機ですが、以降1度だけ手に入れた事があります。手に入れたと言っても小学校に密かに持ち込んでいた友人が貸してくれたのです。「家に持ち帰って遊んで良い」とその友人は私に言いました。私はその時も嬉しくなった覚えがあります。私はその日、家に友人のゲーム機を持ち帰りました。

 

持ち帰ったは良いものの母にそれがバレると叱られるのは目に見えていました。なので母の目を窺いながら扱いました。

 

ただ、所詮は小学生の知恵です。

母にはすぐ発見されました。そもそも、冷静に考えればゲーム機などと言う高価な物を小学生同士が貸し借りをしている事が間違いなのです。非は確かに私にありました。

 

その日は母も仕事で疲れていたのでしょう。心にも限界が来ていたのかもしれないと幼心に私は察しました。母はいつにも増して激しい口調で私を叱り、いつもより強い打撃を受けた事を覚えています。

 

時刻は午後8時頃だったと記憶しています。母はゲーム機を友人宅に返しに行くよう私に命じました。小学生が1人で歩くには少々遅い時間です。私は約2キロ程離れた友人宅に1人でゲーム機を返しに行きました。

 

不躾なことに私は夜分にも関わらずアポを取らずに友人宅に向かいました。インターフォンを鳴らすと友人の母が扉を開けました。私の顔はとても酷く泣き崩した形相だったのでしょう。彼女は異常だと判断したのか不躾な私に優しく接してくれました。

 

無論、小学生が1人で往復4キロの道のりを午後8時にゲーム機を持って歩いているのは異常なのです。友人の母は私を家まで車で送り届けてくれました。それから、私の母と友人の母が話をしていた様ですが得意の道化で乗り切ったのでしょう。友人の母はすぐに帰って行きました。

 

翌日、この件が学校で噂になっているのではないかと恐怖を抱きながら登校したのを覚えています。陰で言われていたのかもしれませんが、幸い私の耳に黒い話が入ってくることはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

『圧縮』さん

 

 

 

 

 

 

 

人間は、絶え無い限りは成長していくものである為に私も中学生になりました。

 

「不安と期待を胸に抱き」とはよく言ったもので、この時の私には【恐怖】しか存在していませんでした。私には元来、環境の変化を恐れる習性が備わっているようで春の季節は毎年なんとか生き延びていける道を探そうと必死になっていました。なので私には環境が変わってもすぐに適応して仲間を増やしていく人種が理解出来ないと同時に羨望の念を抱いていました。

 

これを不安と言うのかも知れませんが、当時の私の心境は恐れしかなかったのです。他の小学校から集った同学年も年上も背広を纏った教師陣も全てが恐ろしく思えて仕方がなかったのです。

 

なにもとって喰われると思っていたわけではありません。それは漠然とした恐怖なのです。具体的に何に対して恐れを感じているのか自身が把握出来ていれば解決への道を探ることも可能ではあったでしょうに、当時も今も悲しきかな私の脳内はごく軟弱に仕上がっているものですから、それを特定する事が不可能だったのです。

 

ただ、入学式においては周りの人間も幾分私と変わらぬ想いを抱いていたのでしょう。細々と私に話しかけてくれる者がいたのです。そいつとは短い仲でしたが今となっては入学式において恐怖を紛らわせてくれたので、極小の感謝はしているつもりです。

 

家に帰ると珍しく母がいました。彼女にも人情というのは備わっている様で、入学を祝う言葉を少なからず掛けて頂いた覚えがあります。まぁ、私には何がめでたいのか皆目検討もつかないのですが。

 

そんな母でしたが、束の間の幸せだったとでも言うのでしょうか私はそのめでたい日に花と大きな争いを引き起こしました。理由は覚えていませんが母の言動が私の逆鱗に触れたのでしょう。稀に私の内にある物が破裂するタイミングがあるのですが、不幸にもこのタイミングだったのでしょう。掴み合いの争いになりました。その時の傷が今でも私の右手首の甲に残っております。中学という場に踏み出したと言う事実に私も態度が大きくなっていたのか終いには家を飛び出してしまいました。

 

躍起になって飛び出したは良いものの家の鍵を持って出るのを忘れてしまい冷静になると私は劣勢に立っているのだとようやく理解したのです。そもそも親と子という立場がある以上は私が優勢になる事は有り得ないとその時私は悟りました。

 

何を考えたのか12歳の私は近くの繁華街を夜もだいぶふけた時間に歩き回りどこかの駐車場で朝焼けを待った覚えがあります。人生で1番長い夜でした。よく変質者や警察と遭遇しなかったものだと思います。

 

この一件があってから母は私に物理攻撃を仕掛けて来ない様になりました。私と掴み合ってみて既に息子に暴力で勝てなくなったと気づいたのでしょう。私から誰かに暴力を振るった覚えは記憶のうちで存在しませんが、母へ確実に抵抗できるだけの力は既に備えていました。

 

暴力で勝てないと分かると今度は精神攻撃を仕掛ける様になりました。彼女には「攻撃をしない」という選択肢はないようなのです。

 

「〇〇しないならベランダで寝ろ」

 

「テストで90点以上取らないと家から追い出す」

 

「風呂を15分で済ませないなら水道代を払え」

 

etc.

 

こんなことを息をするように言い放つのです。ただ、これは真に受けずに聞き流せばその場は凌げるので特に問題ではないのです。

 

私の心に1番響くのは言葉ではなく母が漏らすため息でした。彼女は私になにかミスや落ち度があると必ずため息を吐くのです。それもわざと大きな音で吐くのです。

 

それが私にとっては苦痛でした。常人からしたらため息なんて気にするなと思うかもしれません。それでも私の胸は黒い見えざるナイフに刺されるように痛かったのです。これは比喩ではありません。本当に胸が痛かったのです。ため息を聞くたびに痛かった。

 

他には、中学生の人間に向かって「お前を育てるのに今までに〇〇万円かかってる。だから、態度とか口の聞き方に気を付けろよ」と散々言われた覚えがあります。彼女は私を育てるのが嫌だったのでしょうか。

 

それ以前に私は産まれてきたのが嫌でしたが…

 

ここからは私の推論ですが、彼女はおそらく私が男だという事実が気に入らないのでしょう。彼女はよく私に「1人目は女の子が良かった。男だと分かった途端に嫌になった」と話して聞かせました。

 

母はかなりのメルヘン脳なので機嫌のよい時は「ディズニーのお城に住みたい」などと冗談交じりに言う人間でした。それ故に、自分の思う通りに着飾れる女の子を欲していたのです。

 

これは私の予想通りです。妹が産まれてからというもの彼女は自分の娘を過剰なまでに着飾らせました。スカート以外は断じて許さずズボンなど有り得ない。ピアノとチアリーディング教室に通わせありとあらゆる女子力を備えさせようと手を尽くしていました。

 

その反動で妹はかなり男らしい性格に育ちました。

 

母は妹に対してかなりヒステリックに叫び散らし暴力を振るいます。女相手なので力でも大きく負ける事はないからです。私には手を出さず妹へ手を出している事実から彼女は弱者相手には一層腐った人間性を発動させることが見て取れます。

 

 

 

 

さよなら『毛髪』さん

 

 

 

 

 

 

 

 

私は中学時代にある悩みがありました。

 

それは、自分で自分の毛髪を抜いてしまう癖があることでした。それも無意識に抜いていました。それも1本や2本ではなく結構なハゲが出来る程です。

 

これもまた常人からしたら理解し難い行為でしょう。それは私も承知の上です。

 

なぜなら、私自身も理解できないからです。

なんで自分は髪を抜いているのかすらわかりません。無意識に抜いているのです。気付いたら自分の周りの床が髪の毛だらけなんてこともしょっちゅうでした。

 

後に精神障害の一種である「抜毛症」ということを知りました。ストレスから来る症状の1つらしく、わりと珍しくない病気なのだとか。

 

当時は自分の行為が病状だと知る由もなかったのでひたすら自分が気持ち悪かった。この頃からもう自分が嫌いで嫌いで仕方なかったのです。

 

誰しもある感情だとは思うのですが、この時ほど強くこの世にとどまりたくないと思っていた時期はないでしょう。

 

抜毛症に関するサイトを貼りました

 

https://e-heartclinic.com/sp/kokoro/yamai_ippan/ippan_batsumou1.html

 

 

 

 

 

『嫌悪』さん

 

 

 

 

私は抜毛症を発症した時期から自己嫌悪の念が異常に高まりました。

 

この世には「人間が生まれた意味はなにかしらある。何かの使命を果たすために生まれた」と信じて止まない人がいます。

 

私はそうは思いません。人間が生まれた理由など先人の性行為によって受精卵が完成し生まれたにすぎません。

 

どう脚色して綺麗に着飾ろうとも、これが唯一無二の揺らなようのない事実であり、私を苦しめる答えなのです。

 

例に漏れず私の親も性行為をしたのでしょう。それが2人の本意であるのか、それともどちらか一方の性欲の捌けとして片方が不本意な形で行なったのか知る術はないのですが、間違いなく受精卵が完成して私は生まれました。

 

その後、私は喜怒哀楽その他、実に多様な感情を発揮しながら生きながらえてきました。その中には楽しいこともあれど、私の人生は圧倒的に「苦」の占めている割合が多いのです。

 

性行為の経緯はどうであれ、親が私を産むと決めたおかげで沢山の苦しみを味わうことになりました。それもまだ18歳の段階で。これから社会に出る事になると更に多くの苦しみを味わうでしょう。

 

私の親は、自分が産んだ子供がこのような苦しみを受け続けることを想定して私を産むと決意したのでしょうか。それとも、取り敢えず子供を授かってしまったので産んだのでしょうか。

 

この18年間、親と関わってきて私には後者のようにしか感じられないのです。

 

仮に前者であったとしたなら「絶対に苦しい思いはさせない」という強い想いと自信があったのでしょうか。それとも「苦しんでも別に自己責任にすればいい」と思ったのでしょうか。

 

私のまだ18年の短い人生の中ではありますが「反出生」という考え方に至りました。反出生主義とは子供を産む事に否定的な立場を取る人間のことです。

 

人間はこの世に生まれた以上、命を全うすることが義務であるかのような思考に至ります。実際、自殺大国の日本であるにもかかわらず、自殺者などを心の弱い人間だと虐げる風潮があります。

 

ただ、反出生の立場からすると自殺者は悪くありません。自分の子が自殺者になる可能性があるにも関わらず、自殺を絶対悪とする風潮の国に産み落とす親を非道な人間だと考えます。

 

自分が産んだ子供が自分の嫌いな性格に育つ可能性もあるのです。誰しも許せない行いをする人間と出会ったことがあるかと思いますが、自分の子がその行いをする人間に育つ可能性もあるのです。

 

そもそも、親は子供を産むか産まないかの意思決定は出来るものの、生まれてくる子供側は生まれたいか生まれたくないかな主張すら行うことができません。

 

つまり、出産とは親の押し付けなのです

 

親に「生まれろ!!」とわがままを押し付けられ、自分で何のリスクも顧みず産んだくせに生まれた人間が自分の好みの子供に育たないと虐待を行ったりするのです。

 

わかりやすくいうと、急に他人から殴られてやり返すと「なんでやり返すんだよ!!」と激怒されるのと同じです。理不尽極まりないのです。

 

私は、親になる人間には沢山の責任があると思います。

 

親は意思決定のできない子供を生んだ以上、子供に苦痛を感じさせるべきではないし、一生幸せに暮らせる環境を提供するのが当然です。

 

日本では20歳で成人ですが、平均寿命を80歳だとすると人生の4分の1の工面したくらいで偉そうな顔をしないで欲しいのです。生んだ限りは死ぬまで命の責任を持つべきです。ペットだって飼う以上は死ぬまで責任を持つでしょう。何故人間は途中で放棄するのか。他の野生生物も巣立ちなどはありますが、人間ほど知性が発達していないので苦ではないでしょう。

 

親は自分のエゴで産んだ限りは子供の望んだ事は最大限に行わせるべきです。貧乏人なくせに子供を生んで子供に不自由を与えてはいけない。子供が大学に行きたいと望むのなら私立大学でも学費をすべて払えなければ親ではない。奨学金などという借金を自分が金を稼げていないせいで子供に押し付けるのはよくない。お前が稼げていないせいで子供は借金を負う事になり幸せから遠ざかってしまう。

 

人間は生きている限り幸せを追求するものなので、その本能を持つ人間を創りだした以上は幸せになるように努めるのが親なのである。お前らが苦を唱えるのは筋違いである。お前らが望んで苦を受ける判断をしたのだ。

 

それほど子供を産むのは過酷である。子供は産んで終わりではなく人生を幸せに終わらせて最後なのである。 

 

それが無理なら産むな

 

 

 

以上…。